大友宗麟

おおともそうりん ( ootomo-sorin )
1530 〜 1587


大友宗麟 年表



大友宗麟。豊後、筑後、肥後の三国を治める二十代当主大友義鑑の嫡子大友義鎮。 祖先は大友能直古庄能成の子。
義鑑は晩年嫡子義鎮を廃して三男塩市丸 に家督を継がせようとするが、それに反対した田口蔵人佐らに 義鑑塩市丸が殺害される
「二階崩れの変」
がおこり、大友宗麟はその混乱を収めて家督を継ぐ。
その翌年1551年陶晴賢の謀反により 弟の義長大内家を継ぐと、 当時大内の所領豊前、筑前を手に入れる。 しかし、1561年 毛利元就大内の旧領の継承を主張し、豊前に攻め寄せ、 1564年毛利氏と和睦。 大内の旧領を返還。その後肥前を制圧。 また、1562年に入道して宗麟となる。 大友宗麟は1567年秋月種実毛利氏と通じる家臣高橋鑑種の反乱を制圧。 1570年再び毛利氏が侵略してくるが、宗麟の策略により撤退させ、 豊前、筑前を奪い、九州六カ国を制圧。
大友宗麟は1563年に築城した臼杵丹生島城で政務をおこなう。 1576年ごろに嫡子義統に家督を譲るが、 その後も政務をおこなっているため、 府内(義統)、臼杵(宗麟)の二頭政治となる。
また、宗麟には以前から切支丹の王国建設の野望があり、 1577年 日向の伊東義祐島津氏に破れ、亡命してきたのを機に、 日向に夢の切支丹王国を建設するため1578年耳川島津氏と決戦するが、敗れる。
その後、大友宗麟の支配力が無くなり、島津氏龍造寺氏の侵略をゆるし、 大友宗麟は1586年に上洛、豊臣秀吉の援助を請う。 翌1587年秀吉九州征伐により、 島津氏が降伏(龍造寺氏は島津氏に敗れる)。 大友氏は豊後一国を安堵されるが、切支丹王国建設の夢が実現することは無く、 同年五月に病死。

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