大友義鑑

おおともよしあき ( ootomo-yoshiaki )
1502 〜 1550


大友義鑑 年表



大友義鑑。はじめは親安と名乗る。父は第十九代、義長。 弟は菊池義武こと重治
1515年、父の隠居により家督を継ぎ、後見をうけるが、 1518年に父が亡くなると祖父、親治の後見をうける。
肥後国の菊池氏の混乱に乗じて弟に家督を継がせて領土拡大を謀り、 1520年、継がせることに成功。 また、第十二代将軍、足利義晴から一字拝領して大友義鑑と改名する。 しかし弟との仲は悪く、1534年大内氏相良氏と結んで独立。 争いの末、追放するが、勢場ヶ原の戦いなど大内軍と度々争い、 1538年義晴の仲介を受けて和睦するまで続く。
大友義鑑は1543年に肥後国の守護に補任されるが、 1550年、嫡男の義鎮 (宗麟)を廃して塩市丸に家督を継がせよう画策。 これにより「二階崩れの変」を引き起こし、 塩市丸と共に大友義鑑は家臣に殺害されてしまう。

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