大内政弘

おおうちまさひろ ( oouchi-masahiro )
1446 〜 1495


大内政弘 年表



大内政弘。祖先は周防国の有力者、多々良氏。 また、百済聖明王の第三子、琳聖太子の後裔を称する。 父は第十三代当主の教弘。母は山名宗全の養女。
1465年、朝鮮との勘合貿易を巡り管領、細川勝元と対立。 父が伊予国に出兵して亡くなると大内政弘は家督を相続。周防、長門、豊前、筑後の国の守護も継ぎ、 伊予国の河野通春と共に細川氏を撃退。
1467年応仁の乱が起こると、 大内政弘は宗全の西軍に属し九州勢を引き連れ上洛。 勝元の東軍と対立するが、 1470年、父の弟の教幸が東軍に寝返り長門国で謀反。 この謀反は留守を守っている陶弘護ら重臣の活躍で鎮圧され、 1472年教幸は豊前国で自害。
1477年に帰国すると、1478年、 乱に乗じて奪われた領土を少弐氏から取り返し、安芸、石見の国にも領土を拡大。 1491年、第十代将軍、足利義稙に従い、 近江国の六角高頼の討伐に従軍するが、1494年、 大内政弘は嫡子の義興に家督を譲り隠居する。
大内政弘は明や朝鮮との貿易での利益を軍事、政治などの領国経営に注ぎ、 歌人、文人の多くと交流を深め、雪舟を山口に招いて創作を助けている。 また、勅撰集「新撰菟玖波集」には大内政弘の歌が多く選ばれ、 「拾塵和歌集」という大内政弘の歌集がある。

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