大内義長

おおうちよしなが ( oouchi-yoshinaga )
???? 〜 1557


大内義長 年表



大内義長。晴英とも。豊後国、大友義鑑の二男。 兄は大友宗麟。母は大内義興の娘。
1543年義興の子で、 跡を継いだ大内義隆が出雲国の尼子氏を攻めて敗れると、 義隆の養子、晴持が溺死。 跡継ぎのいない義隆から猶子として迎えられ、 第十二代将軍、足利義晴から一字拝領して晴英と名乗るが、 1545年義尊が生まれたため解消される。
しかし義隆が文化に興じ、文治派の相良武任らを重用すると、 武断派の陶隆房らとの関係が悪化。 隆房1551年、晴英を当主に迎えるよう図り謀反。 大寧寺に籠る義隆を自害させ、 義尊を捕えられ殺害。これにより1552年、当主として迎えられ、 隆房に一字与え、陶晴賢と名乗る。 1553年には第十三代将軍、足利義輝から一字拝領して大内義長と名乗るが、 義長は晴賢の傀儡でしかなく、 1555年厳島の戦いにて、 晴賢毛利元就に討たれると家臣団が瓦解。 大内義長は毛利軍の周防、長門の国への侵攻を許してしまい、 1557年、山口から逃れるが、義長は長門国長福寺にて自害させられてしまう。
ちなみに大内義長の兄の宗麟は、 毛利氏との密約により援軍を送らず、復興も望まなかった。

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