大内義興

おおうちよしおき ( oouchi-yoshioki )
1477 〜 1528


大内義興 年表



大内義興。父は政弘。弟に高弘
1494年、父の隠居により家督を継ぎ、周防、長門、豊前、筑前の国の守護を務め、 勢力を拡大して石見、安芸の国の守護も兼ねる。 祖父の妹が豊後国の大友氏に嫁いでいることから内紛に介入するが、 大友親治の台頭により失敗。1499年、 重臣の杉武明親治と結んで謀反。 弟を擁立しようとするが、大内義興は先んじて武明を討ち鎮圧。弟は豊後国に逃亡する。
同年、追放された第十代将軍、足利義稙が山口を訪れると保護し、 1507年、大内義興は細川氏の内紛に乗じて西国大名たちを率いて上洛。 細川高国と共に第十一代将軍、足利義澄を追放し、 1508年に将軍に返り咲かせると、大内義興は管領代として幕政に努め、山城守護に任じられる。 その後も争いが起こるが、1511年義澄が急死。 義澄を擁する細川澄元らを船岡山にて破る。
しかし留守中に出雲国の尼子経久が勢力を拡大させ、石見、安芸の国に侵攻。 安芸国の毛利元就尼子氏に属してしまう。 1521年、大内義興は管領代を辞職して帰国するが苦戦。 そこで大内義興は安芸国厳島を拠点にして侵攻すると徐々に盛り返し、 1525年毛利氏が戻り、 尼子氏山名氏の戦いに乗じて安芸、石見の国を取り戻すが、 1528年、大内義興は陣中で病に倒れ、山口に戻るが亡くなってしまう。

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