龍造寺家兼

りゅうぞうじいえかね ( ryuzoji-iekane )
1454 〜 1546


龍造寺家兼 年表



龍造寺家兼。龍造寺十四代康家の五男。 宗家を二男の家和が継ぎ、家兼は父が設けた水ヶ江の龍造寺を継ぐ。
1528年本家の家和が亡くなると、 1539年までの短い間に家和の子胤和胤久と相次ぎ早世。 胤久の子胤栄が龍造寺十八代となると、家兼が後見する。
1530年大内氏を継いだ義隆少弐氏排除のため筑前守護代杉興運を肥前に遣わすと、 少弐氏を支持。家兼の活躍でこれを破る。 1532年の戦でも勝利を収めるが、これにより大内義隆自ら参陣。 そこで1534年龍造寺家兼は、 大内義隆少弐資元の和議を仲介、成立させるが、 義隆が約束を違え、資元を自害させる。
少弐家臣は家兼が大内氏と内通していると非難し、 子の龍造寺家門に主君少弐冬尚の後見までされているにもかかわらず、 1544年重臣馬場頼周は龍造寺の軍を攻撃。 1545年和議を結ぶと欺いて子の家純家門。 孫の周家純家家泰ら一族を殺害。 家兼は柳川に追放される。 しかし同年挙兵して馬場頼周を誅殺。 龍造寺の支配体制を復活させた。

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