龍造寺政家

りゅうぞうじまさいえ ( ryuzoji-masaie )
1566 〜 1607


龍造寺政家 年表



龍造寺政家。父は肥前の熊こと龍造寺隆信。政家は二十代当主。
1580年、これまで龍造寺の中核を担ってきた柳川城主蒲池鎮竝が、 島津氏の北上に伴い島津側につくと、 隆信鎮竝を討つ。 同年政家は家督を譲られるが、その後も父の命で各地を転戦する。 1582年島津氏と内通の噂があり不和の筑後田尻鑑種を攻め、 翌1583年鍋島直茂のとりなしで忠誠を誓わせ、 同年有馬氏援助の名目で島津氏が北上すると、 肥後に向かい島津義弘と和議を結ぶ。
しかし翌1584年、再び島津氏が北上すると、 同三月島原半島での戦いで父が戦死。 龍造寺政家は鍋島直茂の後見を得て国政を行い、 1587年豊臣秀吉九州に進出すると、 龍造寺政家は秀吉に謁見。 先鋒として島津氏を攻め、それにより肥前七郡を与えられる。
秀吉は各大名を大坂城へ出仕させるのだが、病身の政家は出仕がかなわず、 秀吉の許しを得て鍋島直茂が国政を代行。 1590年に子の高房に家督を譲り、隠居する。 1592年1596年朝鮮の役でも鍋島直茂が統率。 1607年高房が自殺すると、政家も急死。 龍造寺の家督は鍋島直茂に移譲され、龍造寺の支配体制は終わりを告げる。

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