龍造寺隆信

りゅうぞうじたかのぶ ( ryuzoji-takanobu )
1529 〜 1584


龍造寺隆信 年表



龍造寺隆信。水ヶ江龍造寺。龍造寺家兼が水ヶ江の始祖。幼少時を宝琳寺で過ごす。 龍造寺隆信の父龍造寺周家1544年、 逆恨みした少弐氏馬場頼周に殺害される。
1546年家兼の死後、水ヶ江の家督を相続。 1548年に宗家の龍造寺胤栄が若くして亡くなり、宗家を継ぎ、 大内義隆の編諱を得て隆信と名乗る(以前は胤信)
1551年以後胤栄の旧臣が 水ヶ江の龍造寺鑑兼を擁立し、隆信は筑後に追放されるが、 三年後の1554年鑑兼を追放。
その後1569年1570年と 二度大友氏が攻め寄せるが、これを撤退させ、 1573年に東肥前。1576年に南肥前と、版図を拡げる。 1578年に何度か交戦した 島原の有馬義貞の子晴信を降し、和議を結ぶ。
同年日向耳川の戦いで衰える 大友氏の旧領へと進出。翌1579年北肥後、筑前を制圧。 1580年には大友家臣立花道雪と戦い、 勝利を収める。
また、1579年に肥後の相良氏を降した 島津氏が、有馬晴信を支援。 島津氏の北方侵出が始まるが、 1583年島津義弘の軍勢が島原に押し寄せた時には、 隆信の子政家を対陣させ、のち和議を結び、撤退させる。
しかし、翌1584年今度は島津家久の軍勢が侵入。 隆信も自ら兵を率いて島原に出陣するが、隆信は敗死してしまう。

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