相良義滋

さがらよししげ ( sagara-yoshishige )
1491 〜 1546


相良義滋 年表



相良義滋。長毎の長子。相良義滋ははじめ長為、長唯と名乗る。
相良義滋の弟で三男の長祗が正室の子として家督を継ぐが、1524年、 一族の長定が嫡流を称して犬童長広と共謀。 人吉城を急襲して家督を奪い、翌1525年に自害させられると、 弟で次子の瑞賢1526年、 僧兵を集めて単独で人吉城に侵攻し、追放して還俗。家督を継ごうとするが、 一族や家臣からの支持が得られず、人吉城から逃れて永里城の落合加賀守を頼る。
そこで一族の上村頼興の子の晴広を次期当主とすることで協力を得て、 永里城の瑞賢を攻めて自害させて家督を継ぐ。1530年に八代に移り、 天草への介入や、阿蘇氏名和氏と争うなど勢力拡大に努め、 1545年、第十二代将軍、足利義晴から一字賜り相良義滋と改名する。

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