真田昌幸

さなだまさゆき ( sanada-masayuki )
1547 〜 1611


真田昌幸 年表



真田昌幸。幸隆の三男。 兄に信綱昌輝
武田家への人質となるも、武田信玄の母方の一族、 武藤氏の養子となり、武藤喜兵衛と名乗り足軽大将となる。
武田勝頼の代となると、1575年長篠の戦いが起こり敗戦。二人の兄が戦死してしまい、復姓して家督を相続。 1578年、越後国で家督争いの御舘の乱が起こると、 勝頼上杉景勝と同盟。1579年、 主命により北条氏の上野国沼田城に侵攻。 周辺の諸城を攻略し、1580年に沼田城を攻略する。
1582年武田氏が没落すると織田信長に属すが、 本能寺の変にて没してしまい、 北条氏上杉氏徳川氏が信濃や上野の国に侵攻。 真田昌幸も沼田城を奪回。巧みな外交により領有するが、 徳川家康北条氏との和睦の条件として沼田割譲を発し、これに反発。 二男の信繁を人質に送り上杉氏に従う。 1583年に上田城を築き勢力を拡大。1585年上田城に侵攻する徳川軍を撃退。 信繁豊臣秀吉の人質に送る。
1589年秀吉の命で北条氏に沼田を渡すが、 1590年小田原征伐に従軍して旧領を回復。 1600年関ヶ原の戦いでは西軍に属し、 真田昌幸は徳川秀忠の率いる三万八千の大軍を上田城にて二千の兵で足止め。 本戦で西軍が敗れてしまい、嫡男の信幸らの尽力により死罪を免れるが、 紀伊国九度山へ蟄居させられてしまう。
ちなみに、徳川家康大阪冬の陣にて、 真田家が大坂城に入城すると昌幸かと思って大層恐れたという。

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