里見義堯

さとみよしたか ( satomi-yoshitaka )
1512 〜 1574


里見義堯 年表



里見義堯。父は実堯
実権を握り続ける父は正木通綱と共に専横。 そのため1533年、当主の里見義豊に討たれてしまうが、 里見義堯は仇討ちと称して通綱の子、正木時茂と共に謀反。 北条氏の支援を得て義豊を自害させ、当主となる。
しかし北条氏と対立し、 小弓公方の足利義明に属して1538年第一次国府台合戦に出陣するも、劣勢と知ると里見義堯は離脱。 これにより義明は討死してしまう。
それからは味方領主を攻めて上総、下総の国へ勢力を拡大。上総国久留里城を居城とすると、 北条氏への離反が相次ぐが、鎮圧。上杉謙信や、 佐竹氏などと結び、水軍衆の力を得て抵抗。 1562年に家督を子の義弘に譲り隠居する。 1564年第二次国府台合戦で初戦を勝利するも敗れ、 安房国に逃れて勢力を回復。 三船山に陣取る北条軍を破って上総国を再び支配する。

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