島津忠恒 年表
島津義弘。第十七代、義弘の三男。
長兄が早世。次兄の久保が1593年、
文禄の役に出陣中に病没してしまい、跡継ぎとなる。
1597年からの慶長の役に父と共に出陣して功をあげ、
優れる武勇を見せるが、
1599年、京都伏見で家老で都城を治める伊集院忠棟を殺害。
日向国では都城への通行を遮断されて子の伊集院忠真が謀反。
1600年に和睦するが、1602年に日向国野尻で謀殺。一族も滅ぼす。
同年に家督を継承し、1606年に家久と改名。
1609年に琉球へ侵攻して属国とする。
城下町の整備など内政に務める一方で妻子を江戸に送って参勤交代の先駆けとなる。
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