島津忠良

しまづただよし ( shimadu-tadayoshi )
1492 〜 1568


島津忠良 年表



島津忠良。父は伊作家の善久。母は常盤。 剃髪して愚谷軒日新斎と名乗る。
1494年、父が下男に殺害され、祖父も戦死してしまい、 母は同じく分家の相州家の運久と再婚。相州家の養子として両家の家督を継ぐ。
本家では当主が相次いで没し、1519年勝久の代になると、 薩州家の実久が勢力を強めて本家の家督を強要。そのため1526年、 島津忠良の子、島津貴久を本家の養子に迎えて隠居するが、翌年実久に擁されて再び国政を行うようになる。
家臣の諫めを聞かない勝久実久と対立して追放されると、 忠良は1539年実久を降伏させ、 貴久に本家と守護職を継がせ、1550年、薩摩国加世田に隠居。 その後も政務に務めて「中興の祖」と言われるほどの基盤を作り上げる。
また、島津忠良は「いろは歌」を創作。薩摩特有の教育の基盤となっていく。

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