島津義弘

しまづよしひろ ( shimadu-yoshihiro )
1535 〜 1619


島津義弘 年表



島津義弘。島津家十五代貴久の二男。 兄の十六代当主義久を助け、各地を転戦。
1572年日向の伊東氏を破り、 1577年に日向から追放。 1578年大友宗麟が 日向耳川に攻め寄せるが、これを破る。
1583年義弘は、有馬晴信の援軍として派兵。 龍造寺氏と対陣するが、和議を結び撤退。 1585年、島津義弘は阿蘇氏を降伏させ肥後を支配。 翌年には豊後に侵攻、大友氏を壊滅させる。
筑前、豊前以外の九州を統一し、勢いに乗る島津氏に、 豊臣秀吉の大軍が1587年三月、九州に下向。 島津義久はこれに帰順。 義久は薩摩、義弘は大隈を安堵。
その後、1592年秀吉朝鮮派兵に従う。 1594年薩摩、大隈、日向の約五十五万九千石を賜ると、 1595年義久から家督を相続。 島津義弘は、1597年朝鮮派兵にて明の董一元の大軍を破ると、 1598年には撤退を遮る李舜臣の朝鮮水軍を破り、制海権を確保。 また、1600年関ヶ原の戦いでは西軍に属し、 西軍が敗れると、義弘は東軍を中央突破し、堺から海路で帰国。
井伊直政本多正信のとりなしにより、 1602年徳川家康から許され、本領安堵や家督相続が承認される。 その後1619年七月二十一日、大隈加治木で亡くなる。福昌寺に墓がある。

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