徳川家康

とくがわいえやす ( tokugawa-ieyasu )
1542 〜 1616


徳川家康 年表



徳川家康。江戸幕府初代将軍。 父は三河岡崎城主松平広忠
徳川家康は六歳のとき駿府の今川義元に人質として送られる途中、 織田信秀に捕らえられ織田家の人質となるが、 織田信長の異腹の兄信広が三河安祥城の守将として敗れ、 捕らえられたため人質交換として今川義元の人質となる。 徳川家康の当時の名は松平竹千代、松平元信、松平元康。
徳川家康は1560年桶狭間の戦いの直後、岡崎城に帰り自立。 翌年には今川氏真から離反し信長と同盟。 1563年三河一向一揆を鎮圧して三河一国を治めると、 1566年勅許を得て松平姓を徳川に改める。
1568年徳川家康は、 武田信玄と大井川を画して今川領の駿河、遠江分割を約し、遠江を占領。 以後領国の支配権をめぐり信玄と争う。 1572年三河三方ヶ原の戦いにて 信長と徳川家康の連合軍は敗れるが、信玄没後の 1575年信玄の子勝頼信長とともに長篠の戦いで破り、 1582年甲斐に攻め入り武田氏を滅亡させる (領地は駿河のみを手に入れる)
同年本能寺の変の混乱に乗じ、徳川家康は甲斐、信濃半国を手に入れる。 ちなみに武田家との争いの間の1579年武田氏との間で不穏の動きがあるとの疑いで、 徳川家康の長男信康信長の指図もあり自害させられる。
1584年家康は織田信雄と同盟。 覇権を巡り豊臣秀吉小牧、長久手にて戦い、講和。 その後徳川家康は秀吉に従い、1590年北条氏への小田原攻めでも手柄を立てる。
秀吉の死後、 1600年関ヶ原の戦いで徳川家康は、 石田三成率いる西軍を破り、 1603年征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開く。
1605年に征夷大将軍を子の秀忠に譲ると、 これに不満を持つ豊臣秀吉の子秀頼らを 1614年1615年大阪冬夏の陣にて滅ぼすが、 1616年四月十四日病で没する。

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