上杉顕定

うえすぎあきさだ ( uesugi-akisada )
1454 〜 1510


上杉顕定 年表



上杉顕定。越後守護、房定の二男。弟に房能
1455年から享徳の乱と呼ばれる古河公方、 足利成氏と幕府、山内家、扇谷家の争いが勃発。 1466年に関東管領、上野国は山内家の上杉房顕が陣没。 跡継ぎがいない為、第八代将軍の足利義政の命で上杉顕定が養子となり家督を相続。
1471年には古河御所を占拠するなど優勢に展開するが、 1476年、 家臣の長尾景春成氏と結び謀反。 上杉顕定は窮地に陥り劣勢となるが1478年、両上杉家は古河公方と和睦。 これにより太田道灌景春の乱を鎮圧。 1482年顕定の実父の仲介で幕府と古河公方も和睦し、 享徳の乱は終息する。
1487年からは顕定と扇谷の上杉定正が争うようになる。 のちに長享の乱と呼ばれる乱では扇谷家が、 北条早雲今川氏親らの協力を得て何度も戦には勝つが、 越後の後盾がある顕定が次第に押し込み始めて1504年に和睦が成立。
しかし1507年、 越後守護を継いだ弟が守護代の長尾為景の謀反に敗れて自刃。 そのため1509年為景を越中国に追い出し越後国を統治しようとするが上手くいかず、 1510年に再起した為景の軍に敗れて自刃してしまう。

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