上杉景虎

うえすぎかげとら ( uesugi-kagetora )
1552 〜 1579


上杉景虎 年表



上杉景虎。北条氏康の七男。
幼少時に箱根早雲寺に預けられて西出堂と名乗る。 1554年、駿河国の今川氏、 甲斐国の武田氏、相模国の北条氏による三国同盟が結ばれると、 武田氏に人質として送られたと言われている。
1569年に同盟が破棄されると帰国し、北条幻庵の養子となるが、 越後国の上杉謙信と同盟が結ばれると北条氏政の子が人質となる予定であったが、 氏政がこれを渋ったため越後国への人質となる。 しかし1570年謙信の養子となり、景虎の名を与えられる。
1578年謙信が亡くなると、 上杉景勝との後継者争い、御舘の乱が勃発。 景虎は実家の北条氏と、再び同盟を結んだ武田氏の後盾を得ていたが、 景勝に春日山城と金蔵を押さえられ、上杉景虎は御舘に籠もり抵抗。 北条氏は身動きがとれず、 武田氏景勝と結んでしまい孤立。 子の道満丸までもが討たれてしまい、1579年、 勧告をはねつけて小田原城へ逃亡するが、家臣の堀江宗親の裏切りで放火され、 上杉景虎は自害する。

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