浦上宗景

うらがみむねかげ ( uragami-munekage )
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浦上宗景 年表



浦上宗景。父は村宗。兄に政宗
1551年尼子氏が播磨国に侵攻してくると、その対応で兄と対立。 兄は尼子氏松田氏と結び、 浦上宗景は毛利氏三村氏と結び、 備前国は二つに分かれて争うことになるが、備前国天神山城で独立すると、兄を追い詰めていく。
次第に備中国の三村氏との関係が悪化すると、 1563年に兄と和睦して後顧の憂いを断つと、三村氏と争う。 1566年赤松政秀に兄が殺害され、 1567年、浦上宗景は兄の子を暗殺。1568年宇喜多直家らの働きにより松田氏を滅ぼし、 備前国と美作国の東部を支配。 浦上宗景は尼子勝久率いる再興軍を支援し、摂津国の三好氏、 豊後国の大友氏と結んで毛利氏に対抗。 1569年政秀の討伐に乗り出すと、 窮地に立たされた政秀は第十五代将軍、足利義昭に救援を要請。 これにより織田信長の軍勢が迫ると、直家が謀反。 浦上宗景は窮地に立たされるが、織田軍が早々に引き返したことで、 龍野城に籠もる政秀を降伏させ、 孤立する直家を謝罪させて帰参させる。
毛利軍が領内に侵攻してくると、 浦上宗景は信長に仲裁を頼み和議。1573年、 浦上宗景は信長から備前、美作、播磨の領有権を得て従うが、 1574年直家が兄の孫を擁立して再び謀反。 信長毛利氏に仲裁を要請するが、 今までのこともあり毛利氏直家を支援。 1575年、浦上宗景は天神山城を追放され、 その後、浦上宗景は再起を図るが失敗に終わる。

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