浦上則宗

うらがみのりむね ( uragami-norimune )
1429 〜 1502


浦上則宗 年表



浦上則宗。赤松氏に仕える。
1441年嘉吉の乱にて、 赤松満祐が恐怖政治の第六代将軍、足利義教を暗殺し、没落。 兄の則永が誅殺を恐れて信濃国に逃亡した為、家督を継ぐ。 1457年赤松氏の再興が許されると、 政則に仕える。
1467年応仁の乱が起こると東軍に属し、 浦上則宗の活躍もあり、西軍の山名宗全に奪われた旧領、 播磨、備前、美作の三国の領地と守護職を取り戻させ、侍所所司代、備前守護代に任ぜられる。 乱後の1481年政則が山城守護に任ぜられると、 山城守護代に任ぜられる。
1483年松田氏赤松氏からの独立を企むと、 松田氏山名氏と結ぶ。 これに対して政則は但馬国に攻め込むが敗れ、求心力を失う。 京にいる浦上則宗が戻ると国人達は集い、政則は堺に逃れてしまう。 実権を手に入れた浦上則宗は、政則を廃して後継を立てようとするが幕府は拒否。 播磨国は統率を失くし、山名氏に奪われてしまう。
幕府の仲介で政則と和解し、播磨国奪還を目指す。 1485年に子らを失うが、1488年、奪還に成功。 安富元家から祐宗を養子に迎える。 その後、内乱の鎮圧など各地を転戦。 1496年政則が亡くなると、 赤松義村を擁立して傀儡とすると、専横がはじまる。 その為1499年、庶流の村国が浦上則宗の打倒を掲げて対立。 敗れた浦上則宗は白旗城に追い詰められるが、 家臣、宇喜多能家の活躍により辛くも退ける。

他の戦国武将歴史年表を探す

浦上則宗 グッズ

浦上則宗 グッズ

浦上則宗