宇都宮国綱

うつのみやくにつな ( utsunomiya-kunitsuna )
1568 〜 1607


宇都宮国綱 年表



宇都宮国綱。父は下野国二十一代目の広綱。 弟に結城朝勝芳賀高武
宇都宮国綱は父の跡を継いで二十二代目となるが、 北条氏に従う壬生氏などの侵攻を許してしまう。 これに対して結城氏佐竹氏などと結んで対抗するが、 家臣の離反もあり次第に追い詰められていく。
しかし1590年豊臣秀吉小田原征伐に乗り出すとこれに参陣し、 石田三成忍城攻めなどに参加。本領を安堵される。 1592年文禄の役にも参陣するが、 1593年、宇都宮国綱は跡継ぎ不在の為、秀吉は五奉行、 浅野長政の子の長重を養子に迎えるようにはからうが、 高武の猛反対にあい破談。このときの長政との確執などもあり、 1597年高武と共に所領を没収され、 宇都宮国綱は備前国の宇喜多秀家に預けられることになる。
同年慶長の役での働き次第で再興を許されることになり、 武功をあげるが、1598年秀吉が亡くなり実現されること無く、 1607年十一月二十二日、宇都宮国綱は江戸浅草で失意のうちに病死してしまう。

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