宇都宮忠綱

うつのみやただつな ( utsunomiya-tadatsuna )
1496 〜 1527


宇都宮忠綱 年表



宇都宮忠綱。父は下野国の宇都宮氏中興の祖。十七代目の宇都宮成綱。 父の姉は結城政朝に嫁ぐ。 弟に宇都宮尚綱宇都宮興綱。 姉妹が古河公方、足利高基に嫁ぐ。
忠綱の生年当時、重臣の芳賀高勝の専横がひどく、 1506年に古河公方、 足利政氏と子の高基が対立。 永正の乱が勃発すると、高基は父に助けを求める。 これにより政氏と対立すると、 高勝政氏を支持。1511年、 父が高勝により隠居に追い込まれ、忠綱が擁立され十八代目となる。 ただ実権は父が握り、1512年高勝を誅殺。
これにより芳賀氏が反乱。1514年高基の協力や家臣らの働きにより粛清に成功し、支配下におく。 高基が古河公方に就任すると、 政氏佐竹氏岩城氏を頼り、 那須氏と共に下野国に侵攻。忠綱が迎え撃つが敗れ、追撃を受けるが、 父や政朝らの援軍により撃退。 1516年にも下野国に侵攻してくるが壊滅させ、政氏を失脚させる。
同年、忠綱は父の跡を継ぐと結城氏との関係が悪化。 また、政策方針の違いから芳賀高経ら多くの家臣と対立。 宇都宮忠綱の対立勢力は宇都宮興綱を擁立し、 高経政朝と結び、 1523年政朝が下野国に侵攻。忠綱は出陣するが、 その留守を狙って高経らが居城、宇都宮城を占拠。 忠綱はやむなく壬生綱房を頼り再起を図るが、 1527年綱房にも裏切られ、亡くなってしまう。

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