分部光嘉

わけべみつよし ( wakebe-mitsuyoshi )
1552 〜 1601


分部光嘉 年表



分部光嘉。分部光嘉は伊勢の有力国人長野工藤家十三代通藤の二男で、 細野家を継いだ藤光の二男。 光嘉は分部家の養子となり光高の跡を継ぐ。 兄は細野藤敦
1568年織田信長が北伊勢に侵攻してくると、 兄の藤敦は抗戦を主張するが、分部光嘉は和睦を勧め、 信長弟信包長野氏の養子に迎える。 その信包の命で1570年に上野城を築城。 1580年にはその上野城の城代となる。
1594年信包が所領を没収されると、 1595年豊臣秀吉に仕え、 徳川家康の薦めもあり赤母衣衆に入り、上野一万石の大名となる。 1600年関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍に属し、 上野二万石の大名となる。
その後、分部光嘉の子孫は明治維新まで大名として家名を残していく。

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