渡辺勘兵衛

わたなべかんべえ ( watanabe-kanbee )
1562 〜 1640


渡辺勘兵衛 年表



渡辺勘兵衛。渡辺了(さとる)。 近江は阿閉氏の家臣で、槍の勘兵衛とも呼ばれる。
1582年豊臣秀吉に仕え、羽柴秀勝に付く。 対明智勢山崎の戦いや、 対柴田勢賤ヶ岳の戦いに参戦するが、 1585年秀勝が亡くなってしまう。 その後中村一氏に仕え、 1590年小田原攻めでも功績を挙げ知行も増えるが、 浪人し増田長盛に仕える。
そして時は1600年関ヶ原の戦い。 渡辺勘兵衛は長盛の居城大和郡山城を守備。 戦後、西軍の長盛の所領を藤堂高虎が受け取りに来るが、固辞して守る。 これに折れた徳川側は、長盛に書状を書かせ、城を明け渡させる。
この縁で藤堂高虎に仕え、 1615年大坂の陣で活躍するものの命令違反が多く、のちに浪人。 それからは藤堂家が二代に続いて他家に仕官させないように全国に御触れを出したため仕官がかなわず、 1640年七月二十四日に亡くなってしまう。

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