柳生宗厳 年表
柳生宗厳。石舟斎とも。新陰流二世。父は家厳。
はじめ戸田一刀斎のもとで剣術を学ぶが、
1563年に新陰流の始祖の上泉信綱と出会い、
己の未熟さを悟り弟子入り。1565年には印可を受ける。
筒井順慶、松永久秀と仕え、
1566年の多武峯戦いで拳を射られて負傷し、
1571年の辰市の戦いで嫡男の厳勝が鉄砲で撃たれて重症を追う。
そのため宗厳は柳生に隠棲。
1594年に徳川家康に召し出され、
兵法指南役として出仕を求められたが、高齢を理由に五男の宗矩を推挙した。
その後も剣に生きた宗厳は1606年四月十九日に柳生で亡くなった。
他の戦国武将歴史年表を探す