山県昌景

やまがたまさかげ ( yamagata-masakage )
???? 〜 1575


山県昌景 年表



山県昌景。飯富虎昌の弟、飯富源四郎。 武田信玄の近習。そして使番として仕える。 信濃国伊奈攻めで初陣を果たし、譜代家老衆三百騎持の大将となる。
1565年信玄の嫡男、 義信が謀反を起こし、教育係の兄、虎昌も加担。 これにより兄を失い、兄の「赤備え」部隊を引き継ぎ、 断絶していた山県姓に、そして昌景と改める。
1569年に山県昌景は駿河国江尻城代となり、 1572年三方ヶ原の戦いでは、 武田軍の背後を狙った徳川家康の軍を返り討ちにし、追撃。 家康を徹底的に追い詰め、有名な脱糞話につながると言われている。
1573年信玄が亡くなると、 遺命通り勝頼を補佐するが、勝頼と折り合わず、疎まれる。 1575年長篠の戦いで撤退を進言。 しかし勝頼は容れず、 左翼中枢を担い突撃。あと一歩というところで銃弾を浴び亡くなってしまう。 山県昌景は身長140cmくらいの小柄であったと言われ、「赤備え」は最強部隊の印として、 井伊直政真田幸村らも模倣したとされる。

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