山本勘助

やまもとかんすけ ( yamamoto-kansuke )
???? 〜 1561


山本勘助 年表



山本勘助。武田信玄の軍師として伝えられる実在不明の武将。 三河は牛窪の出身で晴幸とも呼ばれ、 色黒で隻眼、足が不自由で、傷も多く、容姿に難があったと言われるが、 諸国を渡り、兵法や築城術を極めていたと言われる。
1536年、山本勘助は駿河の今川義元への仕官を望み、 何度か手柄を立てるものの、容姿や経歴が無いことから仕官が叶わず、相模など近隣も放浪。 その後次第に広まる山本勘助の兵法家の名声を聞きつけ、 重臣板垣信方の推挙で四十歳を越えながら、 1543年頃武田晴信(信玄)への仕官が叶う。
それからは、晴信が殺した諏訪頼重。 その諏訪氏武田氏の絆を強める為に頼重の娘、 由布姫晴信の側室に迎えさせたり、 1548年村上義清との上田原の戦いで戦功を立て、 1550年砥石城攻めで、壊滅の危機にありながら機転で脱するなどし、 足軽大将へと出世していく。
1553年には海津城を築き、 1559年晴信が出家して信玄と名乗ると、山本勘助も道鬼と名乗り、 1561年川中島の戦いで別働隊による挟撃(きつつき戦法)を献策。 しかしこの策は上杉謙信に見破られ、本陣は危機に瀕してしまう。 この危機に山本勘助は敵陣に突っ込み、 別働隊到着の時間を稼ぐが、ついには力尽き討ち取られてしまう。

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