山中鹿之助

やまなかしかのすけ ( yamanaka-shikanosuke )
1545 〜 1578


山中鹿之助 年表



山中鹿之助。山中満幸の子山中幸盛。 出雲国尼子氏の家臣。尼子十勇士の一人。 生まれは天文十四年(1545)八月、 出雲富田城付近の新宮谷と言われている。
始め亀井氏の養子となるが、兄甚太郎に代わり家督を継ぐ。 尼子氏1554年の新宮党の壊滅により勢力が衰退しつつあり、 謀略によってその原因を作った毛利氏の出雲侵攻を受け、 山中鹿之助も1562年以降尼子氏の部将として活躍するが、 勝てない日々が続き、1565年からは籠城するが、 遂に1566年十一月二十八日に開城してしまう。
その後上洛し、1568年に京都東福寺にいる尼子勝久 (新宮党系)を還俗させ、尼子再興を図り、隠岐から出雲に侵入。 新山城で毛利氏と争う。 しかし、1570年1571年と敗北を重ねてしまう。
そこで山中鹿之助は因幡から上洛。 織田信長を頼り1574年 山名豊国の因幡鳥取城へ入城。 さらに上洛し1577年からは羽柴秀吉の播磨上月城に入城。 1578年毛利氏の侵攻を受け籠城するが、 同年七月三日に開城。 主君勝久は自刃。 鹿之助は安芸に護送中の七月十七日、備後阿井の渡で殺害される。 山中鹿之助の墓は岡山県高梁市落合にある。

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